2014年 03月 14日
相応学舎からのお知らせ 2014年4月 |
「教行信証講義」 本多 弘之 先生
4月15日(火)午後4時~6時
5/13(火)、6/17(火)、7/8(火)
▼ (301頁、『無量寿如来会』引文 無着光(むじゃくこう))
「十方恒沙の諸仏如来、みな共に無量寿仏の威神功徳不可思議なるを讃嘆したまう」(第一七願成就文)。凡夫は機の位。機の位は名号の功徳を受け止める、信受する位。行の位は諸仏の位。曽我先生はそれを「南無阿弥陀仏は所行の法だ」と言われる。法である。信心は機である。こう分けられた。名号は法である。凡夫が法を行ずるんじゃない。凡夫が本願を信じて名号を称すれば、称せられる事実が所行の法なんだ、と。行がおこれば、それは諸仏称名の願なんだと。だから、凡夫が聞法して称名念仏すると、凡夫が行じているんじゃない。おこっている事実は諸仏称名の願なんだと。分かりにくいですよね。凡夫が称えるんだから、凡夫が行じるのではないかと、どうしても思ってしまいますね。
【文責・平野喜之】
今月は、301頁の最後の行からです。
〒603-8151 京都市北区小山下総町28-7
学仏道場 相応学舎
4月15日(火)午後4時~6時
5/13(火)、6/17(火)、7/8(火)
▼ (301頁、『無量寿如来会』引文 無着光(むじゃくこう))
「十方恒沙の諸仏如来、みな共に無量寿仏の威神功徳不可思議なるを讃嘆したまう」(第一七願成就文)。凡夫は機の位。機の位は名号の功徳を受け止める、信受する位。行の位は諸仏の位。曽我先生はそれを「南無阿弥陀仏は所行の法だ」と言われる。法である。信心は機である。こう分けられた。名号は法である。凡夫が法を行ずるんじゃない。凡夫が本願を信じて名号を称すれば、称せられる事実が所行の法なんだ、と。行がおこれば、それは諸仏称名の願なんだと。だから、凡夫が聞法して称名念仏すると、凡夫が行じているんじゃない。おこっている事実は諸仏称名の願なんだと。分かりにくいですよね。凡夫が称えるんだから、凡夫が行じるのではないかと、どうしても思ってしまいますね。
【文責・平野喜之】
今月は、301頁の最後の行からです。
〒603-8151 京都市北区小山下総町28-7
学仏道場 相応学舎
by k_gachapin
| 2014-03-14 00:00
| 相応学舎