2009年 10月 05日
ほんとの願い |
「実は人間の願いというものがあるんだけども、
その人間の願いは人間で自覚できないんだ。
自分で自覚できんような願いを人間は持っとるんですわ。
だから願生の願、如来の本願というけど、如来の本願だけがあるんじゃない。
如来の本願の前に人間の願がある。
人間は何も願わんのに如来の願というものがあるはずがない。
それでなきゃ感動するはずがないわね。
本願に触れて感動するというのは自分に響くから感動するんだ。
人間の願のないところに如来の願はあれせん。
人間の願というものを明らかにしてくると、
それは人間の持っている願だけど人間を超えとるんだ。
それを如来の願といっとるわけだ。
如来の願の中に自分の願がはっきりさせられてくる。」
『本願の生活者』安田理深より
ちょっと長いですが、そのままアップしました。
仏教用語はカビ臭い倉庫の中にある言葉だと感じていたのを
安田理深師の語る言葉に触れて、
「なんて、いきいきした言葉なんだろう」
と思うようになりました。
そのなかでも一番ガツンと来たのが今回引用した部分。
人っていろんな願いを持って生きてるけど、
ほんとの願いって、本人もわからず(忘れて?)生きてるんですよね(当然自分も)。
ほんとの願いに日々刻々と立ち返って生きたい。
それが、すべてのいのちがほんとに喜ぶ生き方だから。
その人間の願いは人間で自覚できないんだ。
自分で自覚できんような願いを人間は持っとるんですわ。
だから願生の願、如来の本願というけど、如来の本願だけがあるんじゃない。
如来の本願の前に人間の願がある。
人間は何も願わんのに如来の願というものがあるはずがない。
それでなきゃ感動するはずがないわね。
本願に触れて感動するというのは自分に響くから感動するんだ。
人間の願のないところに如来の願はあれせん。
人間の願というものを明らかにしてくると、
それは人間の持っている願だけど人間を超えとるんだ。
それを如来の願といっとるわけだ。
如来の願の中に自分の願がはっきりさせられてくる。」
『本願の生活者』安田理深より
ちょっと長いですが、そのままアップしました。
仏教用語はカビ臭い倉庫の中にある言葉だと感じていたのを
安田理深師の語る言葉に触れて、
「なんて、いきいきした言葉なんだろう」
と思うようになりました。
そのなかでも一番ガツンと来たのが今回引用した部分。
人っていろんな願いを持って生きてるけど、
ほんとの願いって、本人もわからず(忘れて?)生きてるんですよね(当然自分も)。
ほんとの願いに日々刻々と立ち返って生きたい。
それが、すべてのいのちがほんとに喜ぶ生き方だから。
by k_gachapin
| 2009-10-05 00:00
| 如是我聞